広島交響楽団に25年在籍。たくさんのプロオーケストラ奏者の方々と共演したなかで、リードについてご教示いただく機会に数多く恵まれる。

プロのプレーヤーのリードも、十人十色です。同じオーケストラで一緒に仕事をしている同僚でさえ、全く違うタイプのリードを使っていることは、当たり前にあります。材料選びにはじまり、水につける時間、シェーパーの形、マンドリルのかたちや太さ、組んでいく時のワイヤーの処理など、リードを材料から形にしていくだけでも、プレーヤーの数だけといってもいいほど、多くのこだわりとノウハウがあります。削り方、調整の仕方にしても、本来は極めてパーソナルなもので、人が変わればまた感じ方も違ってきます。使っている楽器や、口の形、筋肉量、どういう演奏をしたいか等々、ちょうど良いと感じる状態はひとそれぞれなので、もしも有名なプレーヤーからリードを頂ける幸運があったとしても、そのままでは演奏出来なかったりすることは、私自身現役中に何度も経験しました。本来自分にとって一番良い状態のリードとは、ある程度吹けるようにしてから毎日吹いて1~2週間かけて調整したものと考えますが、私のリードは完成リードという制約上、ある程度吹けるようにしてから2~3日だけ調整したものです(それでもそこまでに一週間以上かかっています)。自分ではどこをどうすれば良いか分からない人は、毎日5分一週間程度吹いてあげるだけでも、少しずつ馴染んでくるはずです。私が、リードに向き合うにあたっての指標は、表現したいことがちゃんと聞き手に伝わるかどうかです。使う人の要求にしっかりと応えられますようにと願いながら、丁寧に一本一本に向き合うことが、私の音楽への恩返しだと思っています。

板谷謙一

広島交響楽団に25年在籍。たくさんのプロオーケストラ奏者の方々と共演したなかで、リードについてご教示いただく機会に数多く恵まれる。

プロのプレーヤーのリードも、十人十色です。同じオーケストラで一緒に仕事をしている同僚でさえ、全く違うタイプのリードを使っていることは、当たり前にあります。材料選びにはじまり、水につける時間、シェーパーの形、マンドリルのかたちや太さ、組んでいく時のワイヤーの処理など、リードを材料から形にしていくだけでも、プレーヤーの数だけといってもいいほど、多くのこだわりとノウハウがあります。削り方、調整の仕方にしても、本来は極めてパーソナルなもので、人が変わればまた感じ方も違ってきます。使っている楽器や、口の形、筋肉量、どういう演奏をしたいか等々、ちょうど良いと感じる状態はひとそれぞれなので、もしも有名なプレーヤーからリードを頂ける幸運があったとしても、そのままでは演奏出来なかったりすることは、私自身現役中に何度も経験しました。本来自分にとって一番良い状態のリードとは、ある程度吹けるようにしてから毎日吹いて1~2週間かけて調整したものと考えますが、私のリードは完成リードという制約上、ある程度吹けるようにしてから2~3日だけ調整したものです(それでもそこまでに一週間以上かかっています)。自分ではどこをどうすれば良いか分からない人は、毎日5分一週間程度吹いてあげるだけでも、少しずつ馴染んでくるはずです。私が、リードに向き合うにあたっての指標は、表現したいことがちゃんと聞き手に伝わるかどうかです。使う人の要求にしっかりと応えられますようにと願いながら、丁寧に一本一本に向き合うことが、私の音楽への恩返しだと思っています。

板谷謙一

広島交響楽団に25年在籍。たくさんのプロオーケストラ奏者の方々と共演したなかで、リードについてご教示いただく機会に数多く恵まれる。

プロのプレーヤーのリードも、十人十色です。同じオーケストラで一緒に仕事をしている同僚でさえ、全く違うタイプのリードを使っていることは、当たり前にあります。材料選びにはじまり、水につける時間、シェーパーの形、マンドリルのかたちや太さ、組んでいく時のワイヤーの処理など、リードを材料から形にしていくだけでも、プレーヤーの数だけといってもいいほど、多くのこだわりとノウハウがあります。削り方、調整の仕方にしても、本来は極めてパーソナルなもので、人が変わればまた感じ方も違ってきます。使っている楽器や、口の形、筋肉量、どういう演奏をしたいか等々、ちょうど良いと感じる状態はひとそれぞれなので、もしも有名なプレーヤーからリードを頂ける幸運があったとしても、そのままでは演奏出来なかったりすることは、私自身現役中に何度も経験しました。本来自分にとって一番良い状態のリードとは、ある程度吹けるようにしてから毎日吹いて1~2週間かけて調整したものと考えますが、私のリードは完成リードという制約上、ある程度吹けるようにしてから2~3日だけ調整したものです(それでもそこまでに一週間以上かかっています)。自分ではどこをどうすれば良いか分からない人は、毎日5分一週間程度吹いてあげるだけでも、少しずつ馴染んでくるはずです。私が、リードに向き合うにあたっての指標は、表現したいことがちゃんと聞き手に伝わるかどうかです。使う人の要求にしっかりと応えられますようにと願いながら、丁寧に一本一本に向き合うことが、私の音楽への恩返しだと思っています。

板谷謙一

広島交響楽団首席オーボエ奏者、エリザベト音楽大学非常勤講師。

14才よりオーボエを始め、岡山県就実高等学校へ入学。オーボエを有道惇氏に師事。高校在学中の吹奏楽コンクールでは、村松勲先生の指導のもと初出場から3年連続で全国大会に出場を果たし、2年連続で金賞受賞。就実高校吹奏楽部の黄金時代のはじまりに大きく貢献した。特に2年生の時に演奏した、マスネ作曲バレー音楽「ル・シッド」のコールアングレのソロは、数々の吹奏楽関係の雑誌で絶賛された。作陽音楽大学に入学し、故岩崎勇、河野剛各氏に師事。在学中、ヘルムート・ヴィンシャーマン、オットー・ヴィンター氏からも指導を受ける。作陽音楽大学卒業後、同大学非常勤講師に就任。1989年に実弟の中川重則(現、岡山学芸館高校吹奏楽部顧問)と共に、トランペット&オーボエのジョイント・コンサートを開催。卒業から2年後、大学の先輩でオスナブリュック交響楽団に入団していた菅付章宏(現くらしき作陽音楽大学音楽学部准教授)の後を追い、ドイツ国立ハンブルグ音楽演劇大学へ留学。ライナー・ヘルヴィッヒ氏のもとで研鑽を積んだ。1991年より広島交響楽団に在籍。住友生命チャリティーコンサートにて、モーツァルト:オーボエ協奏曲、1993年広響第140回定期演奏会にて、マルティヌー:オーボエ協奏曲の、日本初演のソリストを務めた。1997年広響第174回定期演奏会にて、リヒャルト・シュトラウス:オーボエ協奏曲のソリストを、2007年の秋山和慶のディスカバリー・モーツァルト&ハイドンシリーズでは、ハイドン:協奏交響曲のソリストを務めた。ハイドンの協奏交響曲は、2009年のアフィニス夏の音楽祭でも採り上げられ、再びソリストとして出演した。2011年広響第17回福山定期演奏会で、アーノルド:オーボエ協奏曲を演奏し、好評を博した。(日本初演)2024年には、第二回しん・ディスカバリー・シリーズに於いて、モーツァルト:シンフォニア・コンツェルタンテのソリストを務めた。指導者としても、これまでに東京芸大をはじめ日本中の音楽大学、一般大学に多数の合格者を送り出している。指導者としても、これまでに東京芸大をはじめ日本中の音楽大学、一般大学に多数の合格者を送り出している。

板谷由起子

広島交響楽団首席オーボエ奏者、エリザベト音楽大学非常勤講師。

14才よりオーボエを始め、岡山県就実高等学校へ入学。オーボエを有道惇氏に師事。高校在学中の吹奏楽コンクールでは、村松勲先生の指導のもと初出場から3年連続で全国大会に出場を果たし、2年連続で金賞受賞。就実高校吹奏楽部の黄金時代のはじまりに大きく貢献した。特に2年生の時に演奏した、マスネ作曲バレー音楽「ル・シッド」のコールアングレのソロは、数々の吹奏楽関係の雑誌で絶賛された。作陽音楽大学に入学し、故岩崎勇、河野剛各氏に師事。在学中、ヘルムート・ヴィンシャーマン、オットー・ヴィンター氏からも指導を受ける。作陽音楽大学卒業後、同大学非常勤講師に就任。1989年に実弟の中川重則(現、岡山学芸館高校吹奏楽部顧問)と共に、トランペット&オーボエのジョイント・コンサートを開催。卒業から2年後、大学の先輩でオスナブリュック交響楽団に入団していた菅付章宏(現くらしき作陽音楽大学音楽学部准教授)の後を追い、ドイツ国立ハンブルグ音楽演劇大学へ留学。ライナー・ヘルヴィッヒ氏のもとで研鑽を積んだ。1991年より広島交響楽団に在籍。住友生命チャリティーコンサートにて、モーツァルト:オーボエ協奏曲、1993年広響第140回定期演奏会にて、マルティヌー:オーボエ協奏曲の、日本初演のソリストを務めた。1997年広響第174回定期演奏会にて、リヒャルト・シュトラウス:オーボエ協奏曲のソリストを、2007年の秋山和慶のディスカバリー・モーツァルト&ハイドンシリーズでは、ハイドン:協奏交響曲のソリストを務めた。ハイドンの協奏交響曲は、2009年のアフィニス夏の音楽祭でも採り上げられ、再びソリストとして出演した。2011年広響第17回福山定期演奏会で、アーノルド:オーボエ協奏曲を演奏し、好評を博した。(日本初演)2024年には、第二回しん・ディスカバリー・シリーズに於いて、モーツァルト:シンフォニア・コンツェルタンテのソリストを務めた。指導者としても、これまでに東京芸大をはじめ日本中の音楽大学、一般大学に多数の合格者を送り出している。指導者としても、これまでに東京芸大をはじめ日本中の音楽大学、一般大学に多数の合格者を送り出している。

板谷由起子

広島交響楽団首席オーボエ奏者、エリザベト音楽大学非常勤講師。

14才よりオーボエを始め、岡山県就実高等学校へ入学。オーボエを有道惇氏に師事。高校在学中の吹奏楽コンクールでは、村松勲先生の指導のもと初出場から3年連続で全国大会に出場を果たし、2年連続で金賞受賞。就実高校吹奏楽部の黄金時代のはじまりに大きく貢献した。特に2年生の時に演奏した、マスネ作曲バレー音楽「ル・シッド」のコールアングレのソロは、数々の吹奏楽関係の雑誌で絶賛された。作陽音楽大学に入学し、故岩崎勇、河野剛各氏に師事。在学中、ヘルムート・ヴィンシャーマン、オットー・ヴィンター氏からも指導を受ける。作陽音楽大学卒業後、同大学非常勤講師に就任。1989年に実弟の中川重則(現、岡山学芸館高校吹奏楽部顧問)と共に、トランペット&オーボエのジョイント・コンサートを開催。卒業から2年後、大学の先輩でオスナブリュック交響楽団に入団していた菅付章宏(現くらしき作陽音楽大学音楽学部准教授)の後を追い、ドイツ国立ハンブルグ音楽演劇大学へ留学。ライナー・ヘルヴィッヒ氏のもとで研鑽を積んだ。1991年より広島交響楽団に在籍。住友生命チャリティーコンサートにて、モーツァルト:オーボエ協奏曲、1993年広響第140回定期演奏会にて、マルティヌー:オーボエ協奏曲の、日本初演のソリストを務めた。1997年広響第174回定期演奏会にて、リヒャルト・シュトラウス:オーボエ協奏曲のソリストを、2007年の秋山和慶のディスカバリー・モーツァルト&ハイドンシリーズでは、ハイドン:協奏交響曲のソリストを務めた。ハイドンの協奏交響曲は、2009年のアフィニス夏の音楽祭でも採り上げられ、再びソリストとして出演した。2011年広響第17回福山定期演奏会で、アーノルド:オーボエ協奏曲を演奏し、好評を博した。(日本初演)2024年には、第二回しん・ディスカバリー・シリーズに於いて、モーツァルト:シンフォニア・コンツェルタンテのソリストを務めた。指導者としても、これまでに東京芸大をはじめ日本中の音楽大学、一般大学に多数の合格者を送り出している。指導者としても、これまでに東京芸大をはじめ日本中の音楽大学、一般大学に多数の合格者を送り出している。

板谷由起子